インターネットで救われたことについて

今から十数年前の単なる思い出話。

 

当時は、家でネットばかりしているような人は同級生にもそれほどいなかった。

私の実家にはデスクトップPCがあり、インターネットも定額制で使い放題だったけれども、家族でPCを触る人間が他にいなかったので、ほとんど私が占有していた。

既に人間関係が面倒なものになっていた私には、インターネットを介したやりとりの方が楽しいと思えた。

現実の狭い世界では自分と似た悩みを持つ人間となかなか出会えなかった。

でもネットで出会う同年代の人たちは何かしら背負っており、自分に近いように見えた。

 

今思えば、単純に身近な人間関係の構築が下手で考え方が未熟なだけだったけれども、私のような人間にとっては、その時に現実世界以外の場所が生きるために必要だったのだと思う。

インターネットと現実を完全に分離することがまだ可能だった時代だ。    

今みたいにSNSが浸透していたら、過去の自分はどうなっていたのだろうと思う。

今みたいにスマホが普及していて、誰でもインターネットの端っこを覗くことができて、自分の書いたことが思わぬところで拾われてあれこれ言われる可能性があることを考えると、自分は運が良かったのかもしれないと思うことがある。

どんどん変わるインターネットに、ついて行けているのか不安になることがある。

思ったことを発信するのは怖いから、チラシの裏にでも書いておけばいいのではないかと思ったりしている。それでも今もこんなところで何かを書いてしまうのは、やはり居場所を持っておきたいという気持ちが忘れられないからなのかもしれない。

 

そういえば、自分は他人を救うことができないのだ、ということを実感したのもインターネットでのことだった。

自分がつらいときに助けてもらえたように、自分も誰かの助けになりたいと思って張り切っていた時期があった。でも結局うまくいかなかった。

他人は自分と同じではないということを理解していなかった。

誰かの心に寄り添ったり補助的なことはできるかもしれないけど、そこから先は自分自身に立ち上がってもらうしかない。そう思うようになった。

そんなこともあったなあと、思い出したので書いてみた。